日本三不動の一 ロゴ 瀧谷不動尊

例言: 明治三十五年五月二十八日 高取 慈恭 識

例言: 明治三十五年五月二十八日 高取 慈恭 識

一、当山本尊の霊験新たにして実に無比の霊尊なることは、略縁起及び本記に見えたる如くなり。

 然るに其教令(そのみおしえ)に随順せず疑念を起す人或は精進ならず怠りを生ずるもの、又は大悲誓願のほどを知らざる輩(はい)もあり。是(これ)等に対し発起深信契当本願(ふかくしんじんをおこしほんがんにかなう))手曳にもがなと本記を編纂(へんさん)せり。

一、古来当山へ参籠(さんろう)する人は多く眼病者にして、其十中の九は既に医薬を尽くして頓(とみ)に治せず或は盲目となりたる人共なるが、其信者の数幾千万人なるをしらずといえども、病症(やまい)の軽重(かろきおもき)にかかわらず、全分又はは其幾分の利益を蒙(こう)むらざるはなし。

 されば何の奇瑞も知らぬ間に、漸次平癒(ぜんじへいゆ)の冥被(みたすけ)に預りたる人々のことはとても枚挙(いちいちあぐる)に遑(いとま)あらず。殊に今人は尤新(もっともしん)と現とを好む世なければ之れに泥み、維新以来多くは今猶現存せる人々にして、奇特の霊験を蒙(こうむ)りたるそが中に就(つい)て、顕然たるもの及び余が知れるもののみを聊拾(いささかひろ)いて斯(かく)はものしぬ。

一、 本記は奇異なる霊験のみを拾集たり。其奇異の件(くだり)は孰(いず)れも事実ありの儘(まま)を記せしもの、固(もよ)より本尊の威霊努(いれいゆ)め疑念を生ずべからず。

一、当山本尊を俗に鰌(どじょう)不動と称呼するものあり。蓋(そ)は信者の多分は鰌を放生(はな)ちて淨信(じょうしん)を運ぶ、然るに其霊応空(そのれいおうむな)しからざればしか云うならん。

一、本記中に、后夜(あさ)より初夜(ばん)に至る六度(むたび)の礼拝誦呪(らいはいじゅしゅ)の余暇に、百度拝及び加持井(かじい)に水行し並(ならびに)に霊瀧(おたき)に懸(かか)る等の記しなきものは、特に記すの必要なき場合にして、通例皆作(つうれいみなな)し行うものと知るべし。

一、本記初編は編者の当寺住職前に属し、其第二編よりは余の住職後に係り、余が実地化導せしもののみなり。

一、本記は文字少(もじすくな)き幼男老婦(こどもとしより)にても、其読知り易きを主として通俗的に運筆せしものなれば、読者夫(どくしゃそ)れ之れを諒(りょう)せよ。

一、本記中粗同様(ほんきちゅうほぼどうよう)の霊験を蒙(こう)むりたるもの猶(なお)あるも、煩らわしきが故に之を省略す。

明治三十年五月二十八日  

高取 慈恭   識

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