泉州大津在の藤井庄治郎の長男庄三郎、次男常治郎の両児は、ある日子供のいたずらから、一匹の猫を殺したのがもとで、一夜の間に兄弟同時に両眼を失明し、医者よ薬よと、八方手を尽す甲斐もなく、この上は河内国瀧谷山不動明王に、おすがりするより他なしと、両親交替にて、一週間ずつ瀧谷山に参籠してせめて一眼なりとも助けたまえと、一心こめて祈願をこらしたのである。
そして三週間の満願の日の朝早く、父親はお瀧にかゝり、一心にお祈りをこめて居た処、何かしら胸さわぎがして、家の事が気がかりに思えてしかたがないので、これは何か変わった事があったにちがいないと、急ぎ人力車を呼んで、大津の自宅へ飛ぶ様に帰って行った。
一方、自宅の方では、この朝早く、二人の子供が俄かに大声をあげて泣きわめくので、母親が驚いて飛び起き、「どうしたのか」と聞いたところ、兄の言うには、「今二階から白い鬚をはやしたおじいさんが降りて来て、剣で眼を突いたんや」「ぼくも兄ちゃんと同じ夢を見た」と、二人共その夢にびっくりして大声をあげて泣き出したのである。
よくよく見れば、二人の子供の眼から血うみが流れ出ているので、ふきとってやると二人とも、「お母ちゃん、目が見える!」と言い出した。然も、二人共よく見ると片眼宛見えるのであり、然も二人共同時に見え出したのである。
母親は驚き、これぞ正しく、おすがりしているお不動さまが自分達の願いを聞き届けて下さって御利益を賜ったのだと、その御霊験のあらたかなのに驚き、やれ有難や嬉しやと大喜びの最中、間もなくそこへ、河内から父親が飛んで帰ってこの有様を見、且つ又自分が今朝、お瀧に打たれていたときの模様などを話し合い、いよいよ以って、お不動さまの御利益を明かに頂戴した事に間違いなしと、一層喜びを新たにし、感涙に咽んで思わず河内の瀧谷の方へ向って、感謝の祈りをささげたいと言う。
この話は、明治二十年頃の事であり、爾来今日まで藤井家は当山の不動明王に対し九十余年の間、特別の御恩報謝の誠をつくされて居り、現当主藤井恒一氏は、このお話の中の常治郎氏の長男に当る方であるが、今や世界的に有名な藤井毛織の社長として、産業界に活躍して居られ、毎年毎月には、関連各会社の重役を連れて、当山に初詣をされることを例とし、当山の信徒総代及び奉讃会の会長として、当山の護持発展のため、赤誠を択んで、報恩の誠を捧げて居られる。
(原稿は昭和56年10月24日発行当時の瀧谷不動尊霊験記から転載しています。)