信心ということの功徳ということを考えてみましょう。まず、心が安定します。そして純粋になります。やさしくなります。そして他人の心をやわらかくつつむことができます。その心は、仏さまとつながっています。仏さまとは何か、と問うた場合、それは智慧と慈悲との綜合体であるということができます。ですから多くの仏たちは、智慧の世界をあらわしたものと、慈悲の世界をあらわしたものと大きく二つに分けられます。観音さまは、まったく慈悲そのもののあらわれですし、永遠に人びとの救済にむけて心をくだいている仏さまです。不動明王は忿怒の形相ですが、それは智慧と慈悲を合わせて忿怒としてあらわしました。忿怒の裏には、やさしい慈悲のまなざしを見ることができますし、ゆるぎないお姿は、智慧の権化を拝する思いであります。
信心とは決定堅固にして退失なからんと欲うがための故に、この心を発す。(信心とは何のために大切なのであろうか、それはその人の心を定め、ゆるぎないものにし、退くことのないことを求めよ、そのことを願うから、信心を大切に思うのである)(『三昧耶戒序』)
-当山御宝暦の法話から転載- 執筆者 福田 亮成 師