15年ほど前でしたか、ある僧侶の方の法話で次のような話をお聞きしました。
むかし、ある村に人々の病を治せることで有名なお婆さんがいました。
このお婆さんが「大麦小麦二升五合」というおまじないの言葉を唱えて拝むと、次々に村人の病気が治ったといいます。たいそう効き目のあるおまじないの言葉でしたが、もともとは『金剛般若経』というお経の経文で、「応無所住 而生其心」というのが正しい言葉でありました。
あるとき、お婆さんの「おおむぎこむぎにしょうごんごう」というおまじないの言葉を聞いた僧侶が、それは「おうむしょじゅう にしょうごしん」が正しいのだ、ということを伝えると、お婆さんは正しい読みかたでおまじないを唱えるようになりました。
ところが、お婆さんのおまじないは全く効かなくなってしまい、病を治すことができなくなってしまった、というお話です。
「応無所住 而生其心」という経文は「応に住する所無くしてその心を生ずべし」と訳されます。「何ごとにもとらわれることのない心を持ちましょう」といった意味になるでしょう。『般若心経』に説かれる「空」の考え方と同じで、確かに苦しみやとらわれの心から離れることをあらわす経文であると言えますね。
しかし、お婆さんにとっては経文の意味など関係ありません。病人の苦しみを少しでもやわらげてあげたいと、一心に「大麦小麦二升五合」というおまじないの言葉を唱えて拝んでいただけなのです。
私たちは、お不動さまにお祈りをするときに「慈救ノ咒」というご真言をお唱えします。
「なうまく。さんまんだ。ばざらだん。せんだまかろしゃだ。そわたや。うんたらた。かんまん。」(『瀧谷山禮拝法則』より)
「真言」は古代インドのサンスクリット語で、それが「仏さまの言葉」であると言われます。聖なる力を秘めた言葉であり、一字一句すべてに密教の教理が含まれているため「真実の言葉」「真理を説く言葉」という意味から、「真言」として原語のままお唱えします。
先ほどのお婆さんのように、言葉を間違えて唱えるのは良くないことですが、もっと大事なことは「心の底からお不動さまのお導きを信じて、一心に真言をお唱えする」ということではないでしょうか。
日本でも古くから「言霊」といいますが、魂のこもった言葉には現実世界にまで影響を及ぼす大きな力が宿ると考えられています。
「信じる力」「言葉の力」によって大きなご加護をいただけるよう、日々のお祈りを続けてまいりましょう。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明