日本三不動の一 ロゴ 瀧谷不動尊

10月 尊い教え

10月 尊い教え

現代社会はとても便利な時代になったというのに、「生きづらさ」を感じている方が多いようです。

しかし、人々が悩みを抱えているのは現代に限ったことではなく、いつの時代も同じです。人間は「考える(あし)」ですが、考えすぎて悩んでしまう生き物なのでしょう。

「自分は何のために生きているのか?」、「どうせ死ぬのに生きる意味はあるのか?」など、古今東西を問わず誰もが一度は疑問に思うことなのかもしれませんね。

あのお釈迦さまでさえも、青年期にはふさぎ込んでしまうほど悩んでおられたのだそうです。

今から約2500年前、北インド(ネパールとの国境付近)のシャカ族の王家にお生まれになったお釈迦さまですが、ご誕生から7日後にお母さまのマーヤー夫人(ぶにん)が亡くなってしまいます。その後は王である父と、叔母(マーヤー夫人の妹)に育てられ、王族の太子として不自由のない生活をされていました。

ある日、太子(お釈迦さま)は外に出て、農夫が田を耕している様子を見ていると、土から出てきた虫を小鳥がついばんでいきます。するとそこに鷹がやってきて小鳥に襲いかかります。太子は生き物の命のはかなさと弱肉強食の現実を目の当たりにして、深く心を痛めたと伝えられています。

また若くして結婚し、やがて子供にも恵まれますが、「老い」「病気」「死」といった避けて通ることのできない苦しみを克服するため、妻子と国を捨てて出家する道を選んでしまいます。

生まれたばかりの子供や王族の位を捨てなければならないほど、お釈迦さまの苦悩は深く大きなものだったのでしょう。

けれど、その結果として2500年後に生きている私たちにも「仏教」という「苦しみを克服して幸せに生きる道」を示してくださったのだとも言えますね。

出家されたお釈迦さまは、35歳の時に悟りを開いてブッダとなられました。

お釈迦さまがお説きになった教えは、弟子たちによってまとめられ、お経になりました。そのお経は後にインドから中国へと伝わり、漢字に翻訳されました。

漢訳されていても、「お経」は若き日のお釈迦さまが苦悩の末にようやくたどり着いた「真理の教え」ですから、その後もずっと大切にされて現代の私たちに伝えられてきた仏教の「宝」なのですね!

執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明

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