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11月 お経はむずかしい?

11月 お経はむずかしい?

お釈迦さまが悟りを開かれてから80歳で生涯を閉じるまでの約45年間、人々の不安や苦悩を取り除くために説かれた様々な教えが、多くの弟子たちによって語り継がれて「お経」になりました。

初期の仏教経典には、生きる上での苦悩や、人の死に対する不安など、それぞれの悩みの状況に応じて、お釈迦さまが最適な助言をされたというエピソードが数多く説かれています。また、人としてどのように生きるのが正しい生き方であるか、ということも示してくださっています。

あるとき、アッコーサカ(=(ののし)る者)・バーラドヴァージャという1人のバラモンが、お釈迦さまのところにやって来ました。そして、汚い言葉で激しくお釈迦さまを(ののし)りました。しかし、お釈迦さまはその言葉を聞き終わると「バラモンよ、あなたの親族や友人がお客様として訪れたときに、あなたは食事や美味しい食べ物を用意して、その客人をもてなすでしょうか?」と聞きます。バラモンは「その時はもちろん客人をもてなすだろう!」と言いました。

「もし、その客人が何も受け取らず(食べず)に帰ったら、食べ物はどうなるでしょうか?」とお釈迦さまが聞き返すと、「何も食べずに帰ったならば、それは私のものになるだろう!」と答えます。「バラモンよ、それと同じようにあなたの言葉を私が受け取らなければどうなるでしょうか?」と聞くと、バラモンは「言葉はお前に向かって言ったのだから、お前のものだろう!」と答えます。「そうではない。あなたの罵りに対して、私が罵り返すことをしなかったのだから、それはあなたのものです。」

お釈迦さまはさらに続けます。「罵る者に対して罵らず、怒った人に対して怒らず、心を平静にたもっていれば、怒らずして勝つことができるのです。それは両者のためになる行為なのです。」とお説きになった、というお経(『雑阿含経』「婆羅門相応」)が伝えられています。

このお経に説かれる教えは「罵りや怒りに対して、同じように罵りや怒りで(こた)えるべきではない」という戒めの教えだと思いますが、お気づきの通り「相手からの罵りや怒りを受け取らない」と心がけることによって、その「罵りや怒りがそのまま相手に返っていくのだ」ということを示すものでもありましょう。

以前にも、この世は「因果応報」「自業自得」の世界だということを何度かお伝えしましたが、いわれのない罵りや怒りに対して、「何を言われようとも、わたしは私!」と自分の心を強くもってその言葉を受け取らないように心がけていれば、その罵りや怒りはいつしか本人に報いることになります。

自分の心を汚さないためにも、そうした相手と同じ土俵に立たないことが大切ではないでしょうか。

その後、このお話のバラモンさんは、お釈迦さまに非礼を詫びて出家し、怠ることなく修行に励んだので、悟りを開いて阿羅漢(あらかん)の一人になったということです。

「お経って、何が書いてあるのかよくわからない難しいもの」というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、こんなにわかりやすく「めでたし、めでたし」な物語が書かれている経典もたくさんあるのですね。

執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明

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