きびしい寒さのなかにも、芽を、葉を、そして実を用意している木々を見るにつけ、その姿に感動させられます。わずかにさしこむ太陽の光を養分として芽を生み出しております。私達の生活がどんなに厳しい、そしてつらい毎日があっても、その日々は芽を、そして華を用意している時であると思いきれば、たえられないはずはないのであります。
困難を逃げまわってばかりいる人の人生は、芽も、華も用意することのできない、まったく味気無い生活であるということができましょう。厳しい困難に立ち向う気概がなければなりません。楽しく、らくばかりの人生は心を豊かにすることはできません。困難な事柄に心がたたかれてこそ、人は生長するのであります。昔の人は、「困難はかってでもしろ」て云っております。たじろぐことなく困難にたちむかうべきです。
冬天に暖景なくんば、すなわち梅麦は何をもってか華を生ぜん
(どんなに厳しく困難なときでも少しく暖かさというものがあるものである。そうでなければ、どうして梅や麦が華を咲かせ、実を結ぶことができましょうや)
(『性霊集』第四)
-当山御宝暦の法話から転載- 執筆者 福田 亮成 師