私達には、どうしてもうまくいかない、間が悪い、運がないというと同時に、うまくいった、間が好かった、運がむいてきた、ということがおこってきます。歴史上の人物についても、あの人は時代を築いた幸運をよびこむ力があった、時代が受け入れることがなかった、と種々にいわれる場合があります。ようするに、人と時がうまく会った時こそ、時代が動き、人物が活躍する好機となります。しかし、その好機をただ待つだけではなく、自分で造ってゆくべきです。そのためには、自分を深め拡大し、時代のもつ意味を積極的に解して、自分をそこにあわせていく、即ち時代を造っていくことにより、自分も深化し、あわせていくというよりありません。人と時との一致することの到来をただ手をこまねいて待っているだけではだめだということでありましょう。
時至り人叶うときは道無窮に被らしむ。人と時と矛盾するときは教すなわち地に墜つ
(時と人とがうまく会えば、教はきわまることなく拡がっていく。人と時とが矛盾するときには、教えは地に落ちてしまうのである。)
(『性霊集』第五)
-当山御宝暦の法話から転載- 執筆者 福田 亮成 師