多くの仏さまは、蓮華の台の上にお坐りになっておられます。蓮華という花は、仏さまのご誓願を表徴しております。それは、蓮華は泥の中に大きく根をはり美しい華を咲かせます。そして、その華は泥によって汚されることがありません.その泥を私達の住む世間にかさねてみますと、汚された俗なる世間に住しつつ、その中で美しい華(人生)を咲せることは、仏さまがかかげたご誓願の精神です。私達が生きる世間は、ものの価値判断のうずのただ中におります。そして、価値の高いものこそがすばらしい、正しいことと思っております。しかし、世間には価値判断のともなわないものがたくさんあることを思うべきです。たとえば、水や空気はすでにあるものとして受けとるだです。価値判断をこえてあたえられているものです。そういえば、信仰ということも価値判断の外のものであります。
浄念は蓮華に坐し、垢心は悪趣に沈む
(浄き心をもって生きている人は、仏と同じく美しき蓮華の上に坐しているのであり、強い迷いの心によって右往左往している人は地獄の底に沈んでしまうのであります。その恐ろしさを知るべきです)
(『宗秘論』)
-当山御宝暦の法話から転載- 執筆者 福田 亮成 師