新学期が始まります。最近は九月に入学式という学校もあるようですが、やはり桜の頃の入学式の方がなじみがあります。
学校の入学式や卒業式から「厳粛」さが消えていくのは残念なことです。子供がこの入学式を迎えるに至るまで、ここまで育つまで、どれほど親が苦労してきたことか。
どれほどの「お蔭さま」があって、ここまで生きてこられたことか。そう考えると、人の「生」とは何と厳粛なことか。そんな「生の厳粛」さを、保護者・先生・仲間達と、時間と空間を共有して感動する場が入学式や卒業式なのです。
桜は散った後に、実を結びます。桜の花の散る中、卒業式や入学式がありますと、後に残る「実」にどんな思いを込めるのかを考えるよい機会にもなりましょう。
人生における儀式の持つ意味を、もう一度考えてみたいものです。
執筆者 寺田 信彦師
略歴:千葉県館山市沼
真言宗智山派 總持院住職
真言宗智山派 専修学院長