「五月雨の降り残してや光堂」(芭蕉)
「おくの細道」の中の名句。奥州平泉、中尊寺金色堂を詠んだもの。五月雨が眼前のものか、回顧してのものかは不明です。「降る」を、年月を「経る」の掛詞として解釈するのが通例です。
「何百年もの間、降っていたであろう五月雨が、この金色堂だけは降り残したようだ、今も燦然と輝いたままで、まさに光るお堂として建っている」。
奥州藤原氏の栄華はまさに七宝散りうせて、本来ならば荒れた叢(くさむら)となってしまうべきはずが、仏縁にて金色堂が光って残ったのです。
歴史の重みは信仰の重みです。仏と共にあればこそ、その重みが輝き続けるのです。
当山の不動明王像は嵯峨天皇の弘仁十二年、弘法大師様、一刀三礼の御作であります。幾多の合戦・兵火をくぐり抜け、年月を経て現在に至っております。ここにもお不動様の御威光が輝き続けているのです。
執筆者 寺田 信彦師
略歴:千葉県館山市沼
真言宗智山派 總持院住職
真言宗智山派 専修学院長