「お手打ちの夫婦なりしを、衣替え」(蕪村)
夫婦(めをと)なりし、「を」としたところが絶妙なニュアンスを持っていると評されている句です。
お家の御法度にふれ、本来ならお手打ちになるべきところ「を」そうならず、(多分、殿様の奥方か誰かの計らいで)夫婦になれた、そんな二人の衣替え。世を忍びつつも、信頼し合って暮らしている夫婦の光景が浮かびます。
私達は縁あってこの世に生まれました。人は誰でも、お互いに産まれた時は見も知らない人と人です。それが縁あって知り合うというのが人間。
親子・兄弟姉妹・友人等々に至るまで、人と人との出会いは、まさしく仏縁としか言いようがありません。その御縁を大切にするという心掛けで人と接してゆけば、無用な争いはないはずです。
仏縁あって生き・生かされて、この日・この時を迎えられることは、有り難いことです。
執筆者 寺田 信彦師
略歴:千葉県館山市沼
真言宗智山派 總持院住職
真言宗智山派 専修学院長