瀧谷不動のお護摩の法要に参列すると、立ち昇る火焔を挟んでご本尊さまに向き合う山主の姿としなやかな修法に目を奪われます。そして参列者を緩やかな気持ちにさせながら法要が進んで行きます。正面には立像のご本尊さま、その左右には座像のお不動さまと走るお不動さま、「静」と「動」の三躰のお不動さまが、私たちのどのような願いにも応じてくれる、そう感じさせてくれます。
さて弘法大師の生涯を通観すると、「静」と「動」という言葉が頭に浮かびます。若き日に山野を駆け巡り修行する姿の一方で、昼夜の境なく経典を読みこむ姿や真言を誦しながら坐して修行する姿、唐(現在の中国)から戻り教えを弘めるため論書の著作活動に精を出す一方で、満濃池の修復や綜芸種智院という学校の創設など社会活動に力を注ぐ、まさに「静」と「動」が入り交じりながら歴史を刻んでいき、最終的には生涯をとおして真言密教という大輪を咲かせたのです。
しかし、よく考えると、私たちの中にも「静」と「動」があることに気がつきます。心を落ち着けて物事を吸収する時の「静」、内に秘めたるものを外に向け活かしていく時の「動」。内なる声に耳を傾ける「静」、大きな目標に立ち向かう「動」。この「静」と「動」は、「心」と「身」ともつながり、別々のものでありながら、どちらか一方だけでは大きな仕事は成しえないものなのではないでしょうか。
お護摩の最後に内陣を参拝して、物事を成就するためには「静」と「動」、「心」と「身」が必要だと居並ぶお不動さま方から改めて教えていただきました。
もうすぐ節分会、季節の変わり目です。皆さまもこのような二つの側面をバランスよく保ち、日々の生活を営まれることをお勧めいたします。
執筆者 真言宗智山派 東京都 圓應寺 住職
智山教化センター長 山川弘巳 師