もうすぐ新年度。新たな環境に身を置くと、新たな出会いが生れます。そして、その中にはあなたの人生の伴走者が見つかるかもしれません。
私にも、親しい友である先輩、同輩、後輩がいます。仲間として同じ時を過ごし、ともに泣き笑い、お互いの話に耳を傾ける、すると縁がますます深まっていきます。友がいる喜びです。ある時、その仲間の一人が私に向かっていいました。「お前が裸の王さまにならないように、側にいる」と。その友人の真剣なまなざしは、今でも忘れません。
お釈迦さまは、次のような言葉を残されています。
「〔自己の〕避くべきことを指摘し叱責する賢者を見れば、このような賢者に会うことは、宝〔の在りか〕を示す人のようなものにちがいない。そうした人にしたがう者は利益があっても損失がない。(『法句経』76訳:宮坂宥勝)」
自分が行った過ちを指摘してくれる人、叱ってくれる人、それは宝を示すような人である。大切にしなさいということ。友だちと過ごす時、うわべだけの言葉を並べて、ただいたずらに時間を費やすこともあるかもしれません。一方で、自分が触れられたくない過ちを、あえて自分のために叱責してくれる人の言葉はどれだけありがたいことか。その言葉を真剣に発してくれる人こそ、自分にとっての大切な友となります。どこか、お不動さまが忿怒の形相で私たちを見守っていることと相通ずるものがあると思います。
お釈迦さまは更にいいます。
「悪(あ)しき友人たちと一緒になってはならぬ。最低の者と一緒になってはならぬ。善き友人たちと一緒になるがよい、最上の人たちと一緒になるがよい。(『法句経』78 訳:宮坂宥勝)」
桜咲く季節に素敵な出会いがありますこと、心よりお祈り申し上げます。
執筆者 真言宗智山派 東京都 圓應寺 住職
智山教化センター長 山川弘巳 師