あるご縁日、本堂で燃え上がる護摩の火を見つめ、手を合わせ、心にお不動さまを念じ、一心にお不動さまのご真言をお唱えしていました。すると、不思議なことに辺りの明るさが一変したように感じ、その直後、太鼓の響きに併せて厨子が開帳され、瀧谷不動ご本尊のお不動さまがお姿を表しました。このお不動さまは弘法大師が一刀三礼で彫り上げたといわれ、私たちの心を試すかの如く忿怒の形相で、あらゆる願いを成就へと導いてくれるといいます。
弘法大師は、「加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の意水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく(『即身成仏義』)」といわれました。私たちが、ご本尊お不動さまの大威力を信じ一心にご真言を唱える、そしてその時にお不動さまの大慈悲の力を感じとることを加持といいます。言い換えれば、加持とは、お不動さまの大慈悲の力を私たちの信仰心で受け止めることです。
しかし、ここで大切なことは、お不動さまのお加持を受ける側の私たちが、どのような行動を起こすかなのです。お不動さまは、その火焔で私たちの一切の煩悩障難を焼きつくしてくれているにもかかわらず、私たちがなおも、貪(むさぼ)りの心、瞋(いか)りの心、癡(おろ)かさの心を抑えることができずに欲望の苦海に溺れてしまっていては、その願いは決してかないません。真心をもって生活することが重要なのです。
「衆生の意相各々不同なれば、衆生の心に随ってしかも利益をなし、求むる所を円満せしめたもう(『佛説聖不動経』より)」
5月28日の大祭にお参りし、今一度、自分の心を見つめなおし、お不動さまのご加護のもと、お健やかにお過ごしいただくことをお祈り申し上げます。
執筆者 真言宗智山派 東京都 圓應寺 住職
智山教化センター長 山川弘巳 師