日本三不動の一 ロゴ 瀧谷不動尊

空豆はぜて眼に入り願望成就せし事

空豆はぜて眼に入り願望成就せし事

 当国中河内郡長原村に屋根家房吉(やねやふさきち)と云う者あり。明治二十年四月年廿六にして眼病に罹りたるが、同人は赤貧洗(せきひんあら)うが如く其日の生計も立てかねる程なれば思うように医薬の資(たす)けを得ることも叶わず。

 売薬など僅かに買用(かいもち)ゆる位にて、遂に全盲の身となりければ、其身の不自由なるのみか、父もなく兄弟もなく我身一つにて母親と妻子を養うことなれば、房吉の目を失いたるは、一家内の目を失いたるに均しく細き烟も絶えなんとこそしたりしが、さりとて其まゝ過ぎん様もなく、兎にも角にも眼病の平癒せん間は、一家餓死するの他はあるまじき様なるに医薬の代を求むべき余裕だもあらねば、いかがはせんと親子と妻と打寄りて悲歎に沈むのみなりしが、偶々思いだしたるように、此上は不動尊の御袖に縋(すが)りて大事大悲の冥助(みたすけ)を仰がんより他に道なからんと母親が云えば、本人も実に夫(そ)れと心を決し、近隣(きんじょ)の子供を頼み是に手を曳かれて五里あまりの道を厭わず、当山へ日参を始めける。

 本尊の宝前(みまえ)に平伏(ひれふ)して「何卒私の眼をおたすけ下され、此眼もし明(あかし)を得ざれば、我のみか母親始め妻子まで路頭に迷うことなればどうぞ一眼なりとも助け玉え。」と一生懸命に心願を籠(こ)め、心に旧悪を懺悔(ざんげ)して血を吐くばかりに祈りける。

 母親は又宅にて信心し「我眼は両眼つぶるゝとも忰(せがれ)の眼さえ明(あかし)を得ば露厭(つゆいと)うべき身にはあらず。何卒(なにとぞ)忰房吉(せがれふさきち)の一眼を救いたまえ。」と一心不乱に祈念してありしが、日参(にっさん)の始めより七日目に当たる日、母親は房吉並びに手を曳き呉(くれ)る子供の空腹の補(おぎな)いにもとて空豆を煎り居りけるに、一粒はぜて左の目へ飛び入りしと思う間に、痛みはげしくして立ちどころに一眼を失いぬ。然るに其日房吉は当山へ参詣し、毎(いつ)ものごとく伏し拝みて祈念終わり帰宅せばやと立上れば、忽(たちま)ち宝龕(みずし)の見ゆるに、こは夢かとばかり驚きながら能く思い定め見るに、夢にはあらで全く明を得たるにあれば、手の舞い足の踏むところを知らず。

 「アヽ有がたや」と嬉しくも悦び勇みて家にかえり斯くと母や妻に告(つ)くれば、扨(さて)も有がたや実に不思議の霊験かな、母が意願の如く母の一眼は空豆にてつぶれしと同時に我目の明を得せしめ玉うとは。」と親子妻諸共感涙にむせびて悦ぶ其嬉しさのほどは、宛(あたか)も地獄にて仏の譬(たと)えも今は我身の上ぞと、一同信心肝に銘じ、夫れより車夫(くるまひき)となりて、細くも生計に不自由なく年月を送るを得て、其后報恩の月参怠(げっさんおこ)たりなしとなん。

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