お不動さまに心を向けて、手を合わせ、真言を唱え一心に祈る。その姿は、傍から見ていてもとても美しいものです。
祈りは、私たちの三つの働きが一つとなって構成されています。手を合わせ(身)、真言やお経を唱え(口)、お不動さまを身近に感じ願いを込める(意)。この三つの働きが揃ってこそ、初めてお不動さまに祈りが通じます。
仏教発祥の地インドでは、人の行為は「身(身体)口(言葉)意(心)」の三つの働きに分類できると考えていました。そこで、仏教ではこの三つの働きを清らかにすることを大切にし、清らかであれば仏さまに近づけると考えたのです。
この三つの働きは、それぞれ別々に表現されますが、よく考えれば連動しているのです。例えば、何かをしたいと「心」で思いうかべる時には、あれこれと「ことば」で考えて、そして実際に「からだ」を動かします。ですから、この何かをしたいということが、善いことであっても悪いことであっても、この三つの働きが必ず創りだしたといえるのです。
お釈迦さまはいいます。
「語に気をつけ、心をよく制御し、体で悪をなさないという、この三つの行為の道を清らかにするならば、聖仙(リシ)によって説かれた道を得るだろう。(『法句経281』訳:宮坂宥勝)(※聖仙=ブッダの尊称、道の体得者)」と。
皆さんの普段の生活はどうでしょうか。嘘偽りなどの言葉をいっていませんか?貪欲な心や怒りをあらわにしていませんか?むやみに殺生や邪な行動をしていませんか?
私たちは、さまざま願いをお不動さまの前で祈ります。しかし、普段から三つの働きを清らかにしていなければ意味のない祈りとなります。そのような時のお不動さま怒りの眼は、三つの働きを清らかにしなさいと諭しているのです。
執筆者 真言宗智山派 東京都 圓應寺 住職
智山教化センター長 山川弘巳 師