人生に於ける通過儀礼の最も重要な一つに、新学期があります。
この時期それぞれの学校で何を学ぼうかと、具体的なイメージを持って入学した人は、どれだけいることでしょうか。或いは人生に絶望し、生きる意味すら見出せないまま悶々とした日常生活を怠惰に過ごすばかり。それでも「生」に未練がましくしがみつき生活している自分に気付かされることがありはしませんか。
そんな時、ふと「自分らしく生きてみたい」と思うことがありはしませんか。少しでも「生」への意欲があるのなら、心の持ち様、ものの見方を変えてみてはいかがでしょうか。自分の気持ちを整えて、平穏無事な生活を送ろうと決心するのであれば、おのずから道は見えて来るのではないでしょうか。
このような自分自身の心の変化の過程を、「発心」と言えるのではないでしょうか。
大乗経典に「初発心時便成正覚」と説かれているように、自己の内なる仏を見つけようと覚悟を決めた時がまさに「発心」であって、その刹那がまさに「正覚」の時であると言えるでしょう。
悟りは自己と対立してあるものではなく、主体的に係わり行き着いた時に現前してくるものなのです。「仏の教え」に入門する良い季節としたいものですね。
執筆者 高麗行真
略歴:東京都西東京市泉町
真言宗智山派 如意輪寺住職
真言宗智山派 教学部長