また、『華厳経』のお話です。「普賢行願讃」には、「乃至、虚空世界が尽き、衆生と及び(その)業と煩悩も尽き、是の如くに一切の尽きること無き時、我が願いは究竟じて恒に尽きること無し」という一文が説かれています。この主旨は、未来永劫にわたって誓願を立てて、それを現実の社会の中で限りなく実現してゆこうとする菩薩の精神であると言えるでしょう。
これはお大師さまの「高野万燈会の願文」に通底する考え方であり、その精神性が、宗教性が、お大師さまを介して現代社会の中に生き続けているというところに、私達はその価値を見出すことができるのではないでしょうか。
大乗の菩薩道が、『般若経』においては般若波羅蜜多行という智慧の行によって示され、『華厳経』ではその思想を継承しながらも、更にこれを超えて、自利と利他の相即する智慧と慈悲の円満した普賢菩薩の行願として結実したと見ることが可能ではないでしょうか。
波羅蜜多行が仏の大慈大悲の発動であることに気付くなら、普賢菩薩の行願は、あらゆる衆生を救済せずにはおかない大いなる力であることに気付くなら、そして自分がこのことに目覚めるなら、その時がまた悟りへの新たな旅立ちが始まると言えるのではないでしょうか。
瀧谷のお不動さまは、昔も今も変わらずにじっと私達を見守り続けていらっしゃることでしょう。
執筆者 高麗行真
略歴:東京都西東京市泉町
真言宗智山派 如意輪寺住職
真言宗智山派 教学部長