暑さの厳しい季節となりました。八月十三日から十六日(または十五日)にかけて、多くの地域で盂蘭盆(=お盆)の行事が営まれます(関東などの一部地域では七月に過ごされたことでしょう)。
お盆の行事は、「仏説盂蘭盆経」という経典に説かれる物語りに基づいて行われている伝統行事です。
仏教には「六道輪廻」という思想があることは以前にもご説明しました。人は亡くなると、その生前の行いに応じて「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天」の六つの世界のどこかに生まれ変わるという考え方です。
その六つの世界に生まれ変わる確率は、くじ引きやサイコロのように「六分の一」ということではありません。六道のうち「人間」と「天」という世界は、氷山の一角のようなごく限られた世界です。
上から二番目にあたる「人間」として生まれ変わるためには、六道の世界に存在するすべての命の中で、上から二番目に相当するような善い生き方をして功徳を積んでおく必要がある、ということになります。
先ほどの「仏説盂蘭盆経」には、お釈迦さまの十大弟子の一人である目連尊者と、目連尊者のお母さまの物語りが説かれています。
お釈迦さまの多くのお弟子の中でも「神通第一」と呼ばれるほどの神通力を得た目連尊者は、自分を大切に育ててくれたお母さまが六道のうちのどんな世界に生まれ変わっているだろうかと捜してみると、なんと骨と皮ばかりにやせた姿になり餓鬼道で苦しんでいました。
その姿を見てしまった目連尊者は、お母さまに食べ物をさし出しますが、食べようとすると忽ち炎となってしまい食べることができません。目連尊者は深く嘆き悲しみ、お釈迦さまに助けを求めて相談しました。
お釈迦さまは目連尊者に対して、「夏安居という修行を終えたばかりの七月十五日、大勢の修行僧たちに多くの食べ物を供養すれば、その功徳によって母だけでなく過去の親族までも救うことができる。」と説かれました。
目連尊者はお釈迦様の教えにしたがい、多くの修行僧に供養をすることによってお母さまを餓鬼の世界から救うことができた、という物語りです。
私はこの「盂蘭盆経」のお話を初めて聞いた時、まだ修行中の学生でしたが「目連尊者ほどの高僧を育てたお母さまが、なぜ餓鬼道に堕ちてしまったのかな?」と不思議に思っていました。ある先生からは「わが子可愛さのあまりに時として貪欲な心になったり、他人に対して分かちあう気持ちがなかった」などと教わったこともあり、「誰もが持っているそうした心や行為が、そのまま餓鬼道につながるのだな…」と考えたりもしました。
強欲、貪り、嫉妬など、欲望のままに生きた者が、死後に生まれ変わる世界が餓鬼の世界です。
お盆にはご先祖さまや故人となられた大切なご家族が、家に帰って来られます。おもてなしの心、分かちあいの心でお迎えしましょう。お供え物をしたり、お経をお唱えして丁寧にご供養することができれば、より大きな功徳となることでしょう。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明