真言宗で唱えられる「真言」は、古代インドの言葉(サンスクリット語)で「マントラ」とも呼ばれます。
サンスクリット語の呪文は「仏さまの言葉」であるとされ「真実の言葉」「真理を説く言葉」の意味で「真言」と訳されました。
真言は聖なる力を秘めた言葉であり、一字一句すべてに密教の教理が含まれているため翻訳はされず、そのままの「音」で唱えることが重要視されました。
経典が漢文に訳される際にも「音写」といって、元のサンスクリット語の言葉に近い響き(発音)の漢字があてられました。般若心経の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」という呪文も同じく音写ですね。
仏さまの言葉ですから、当然仏さまの世界にも届きやすい言葉だといえるでしょう。そのように、言葉や音の響きがもっている聖なる力を大切にするので、「真言」として唱えられています。
仏さまの世界をあらわす曼荼羅には数多くの仏さまが画かれていますが、一人一人の仏さまにそれぞれ複数の真言がありますので、真言宗のさまざまな経典には数えきれないほど多くの真言が説かれています。
真言宗の法事やご葬儀などで必ず唱えられるのが「光明真言」という真言です。光明真言は大日如来の真言であり、曼荼羅の全ての仏さまの真言ともいわれます。
「おんあぼきゃ。べいろしゃのう。まかぼだら。まにはんどま。じんばら。はらはりたや。うん。」(『瀧谷山禮拝法則』より)
この真言を至心に唱えれば、仏さまの智慧の光明によって罪障が清められ、迷いの世界の苦しみから救い導いていただく功徳があります。
先月の法話に「仏さまの光をさずかる」というお話を書きましたが、まさに「仏さまと加持感応する真言」であると私は思っています。
特に法事やご葬儀の際には、光明真言を唱えることによって仏さまの光明に照らされ、「亡くなられた方々がその光に包まれて安らかになられますように…」という思いを込めてお唱えしております。 目には見えなくとも、仏さまの五色の光で心が満たされるような光明真言をお唱えできるよう、日々精進してまいります。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明