「タイム・イズ・マネーではなく、タイム・イズ・ライフだ!」と言われることがあります。
ビジネスの世界では仕事のスピード感、つまり時間がそのまま収入や損失または信用にもつながりますが、人生を考えるときには、やはり「タイム・イズ・ライフ」であるといえるでしょう。
私はこの言葉を、薬師寺の管主であられた高田好胤師のご法話や、相田みつを氏の言葉から学ばせていただきました。
「人生100年」といわれる時代になりましたが、実際に私たちがこの世で過ごす時間の長さは誰にもわかりません。私たちの命には限りがあり、過ぎてしまえば元に戻せないのが時間です。そのうちの1分1秒を、私たちはいま過ごしているのです。時間を無駄に過ごしたということは、命を無駄に使ってしまったということにもなります。まさに「時は命なり」なのですね。
日清食品創業者の安藤百福氏や、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏をはじめとする多くの方々もこのことに気づかれ(「悟られた」といったほうが良いかもしれません)、生きる上でとても大切なことを教えてくださっています。
特に日野原先生は「寿命」の意味についてさらに踏み込んで、子供たちに向けて語りかけます。
「私がイメージする寿命とは、手持ちの時間をけずっていくというのとはまるで反対に、寿命という大きなからっぽのうつわの中に、せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。」(『十歳のきみへ ―九十五歳のわたしから』2006年)
寿命とは私たちに与えられた時間であり、その時間の中に「せいいっぱい生きた自分のいのち」を注ぎ込むことが本当の意味の「生きる」ということだ、とおっしゃっています。
お釈迦さまの教えにも、次のように説かれています。
「慎んで過去を念ずることなかれ、未来を願うことなかれ《中略》かくの如く精勤に行じ、昼夜に怠ることなき者を、一夜の賢人という」(『中阿含経』「一夜賢者偈」)
「過去を悔やまず 未来を憂えず 今日なすべきことを怠らず 今に最善をつくせ」という意味になるでしょう。
人として「いかに生きるか」を考える上で、自分が今やるべきこと、やれることを精一杯やって「いま、この瞬間を一生懸命に生きることが大切である」ということは、子供から大人まで、地球上の誰にでも共通して言えることではないでしょうか。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明