先月のお話で、龍神さまやお地蔵さまが手に持っておられる玉は、思いのままに福徳財宝をもたらす如意宝珠であるとお伝えしました。
仏教の重要な論書に「この宝珠には、天上界の如意宝珠と、人間の如意宝珠の二種がある。諸天(吉祥天や毘沙門天・如来・菩薩など、天上界の諸尊)は福徳が厚いため、宝珠の徳(=福徳財宝をもたらす力)が具わっている。人間は福徳が薄いので宝珠の徳が具わっていない。」と説明されています(『大智度論』)。護法神や仏さま方は皆この福徳をもたらす如意宝珠を持っておられますが、人間は宝珠を持っていても残念ながら【宝珠の徳】がないのですね。
如来さまの頭の肉髻という(丸く盛り上がっている)部分には、「肉髻珠」と呼ばれるものがあります。菩薩さまの頭には髻といわれる髪を結い上げた部分があります。「髻中の明珠(宝珠)」という言葉がありますので、如来さまも菩薩さまも頭部に如意宝珠が包まれているのでしょう。大日如来をあらわす五輪塔も頂上が宝珠になっています。また如意宝珠は仏さまの尊い御心の中にあると考えても良いかもしれません。
龍神さまやお地蔵さまは、その宝珠を手に取って私たちに見せてくださっています。「この如意宝珠の力で、あなたの願いを叶えてあげましょう。」とおっしゃっているのでしょうか?あるいは「この宝珠と同じくらいの福徳が具わるよう、あなたも功徳を積んで修行を頑張りなさい。」と言われているような気もします。
弘法大師さまや行基菩薩のような高僧の方々は、生きておられた当時からすでに菩薩と呼ばれるほど徳の高い方ですから、「宝珠の徳」が具わった如意宝珠を持っておられたに違いありませんが、私たちの場合はどれほどの修行を積めばよいのでしょうか。
先ほどの『大智度論』には「般若波羅蜜(=仏さまの智慧)を身につければ、如意宝珠と同じ功徳を得られる。」ということが記されています。仏さまの頭の肉髻は「般若波羅蜜の智慧」の象徴ですから、「般若心経」を唱えたり、写経をするなど、般若波羅蜜の智慧の修行を続ければ、私たち人間の宝珠も少しずつ光を増していき、福徳を得ることができるのでしょう。
以前、「こころの健康」という法話に「般若心経」のことを書きましたが、「般若心経を唱えると、その日は何か良いことがある。」というのは本当だったのですね。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明