明けましておめでとうございます
令和四〔壬寅〕年、今年もコロナ禍のもとで過ごすお正月となってしまいました。何かと不自由の多い日々が続きますが、信心を怠らずお不動さまのご加護をいただいて、今日の一日を大切に過ごしてまいりましょう。
以前にも触れましたように、不自由な状況の中で自分の思い通りに生活しようとすれば不満が生じます。またその不満から他人にも迷惑をかけることになれば、さらに大きな災いとなって自分に返ってくることになるでしょう。自分さえよければ…という行動をしてしまえば、気づかないうちに運も幸せも逃げていってしまいます。
「自業自得」や「因果応報」という言葉は、悪い意味で使われることが多いですが、善くも悪くも「自業自得」であり、善くも悪くも「因果応報」ということになります。善い行いも悪い行いもめぐりめぐって自分に返ってくる。ただ、その結果がすぐに顕れないことが多いので、私たちは気づかずに過ごしてしまっているのです。
仏教ではよく果実に喩えられます。善い種を植えればやがて善い花が咲き、善い実を結ぶ。悪い種を植えればやがて悪の実を結ぶ。「桃栗三年、柿八年」といいますが、何か都合の悪いことが起こった時に、「八年前、あの時の行為の報いだ!」とは思わないので、他人のせいにしたり、怒ったりしてしまうのでしょう。また、知人をだますなど、悪事をはたらく人を見て「後生が悪い」と言うように、「来世に報いる」とか、「死んでも極楽往生できない」という意味の言葉もありますので、結果が何十年後に自分が死んだ後、顕れる場合もあるわけです。
一昨年のお盆の新聞に、日本の現代人の意識調査で「悪いことをするとバチがあたる」と考える人が76パーセントであった、という記事がありました。(1964年の調査では41パーセントですから、かなりの変化が見られます。)とはいえ、伝統仏教などの宗教色は薄れており、社会の不公正に対する不満から「悪いことをする人にはバチがあたるべきだ」という意識が強まっているのではないか、と解説されていました。
確かに私自身も「こんな悪い人にはそのうちにバチがあたればいいさ!」などと思ってしまうことがあります。しかし、心で思っただけのその行為にも、善因善果・悪因悪果が必然とされますので気をつけなければいけません。少し窮屈な感じもしてしまいますが、それだけのことで「運や幸せが逃げていく」と思えばもったいないので、できる範囲で努力することも大切ではないでしょうか。
私たちがいま行っているその行為がいつ自分に返ってくるのかはわかりませんが、できれば【善い行いの種】を多めに植えておきたいものですね。
一日一日を大切にお過ごしいただき、より善い一年となりますようご祈念致します。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明