誰しも子供の頃に「生まれ変わったら何になりたい?」と話した経験があると思います。また、架空のこととしてですが「生まれ変われるなら、どのような身分や職業に就きたいか?」などと話す機会は大人になってもあります。
現実的には「自分が死んだ後、四十九日の間に輪廻転生する」と本気で考える方は少ないと思いますが、親族のどなたかが亡くなられて四十九日忌の法要の時などには、「どこかに生まれ変わっていくのでしょうか?」と聞かれることもあります。
仏教には古くから六道輪廻という思想があることをご存じの方は多いと思います。六道は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界の六つの世界のことで、生前の行いに応じてこれらの世界を次々と生まれ変わる、という考え方です。
「三帰礼文」や「三帰依文」という経文の一節に「人身受け難し今既に受く、仏法聞き難し今既に聞く」という言葉があります。六道のうち、上から二番目である「人間」としてこの世に生まれる確率は、六分の一ではありません。氷山の一角のように、限られたごく一部の存在が「人間」と「天」ということになります。ですから「人として生を享けることはとても難しいが、私は今すでに人として生まれることができた」という意味の経文になっています。本当に「有り難い」ことなのですね。
私が小学生だった頃はちょうど1970~80年代で、オカルト映画や心霊現象、前世占いなどのテレビ番組が流行ったこともあり、小学生でも「この世に人間として生まれてきたのは、前世でとても善い行いをしたからなんだって!」という話をしていました。また近頃はパワースポットに行かれたり、神社やお寺に参拝して御朱印をいただいたり、若者にも参拝マナーの良い方が増えました。神仏にご縁をいただいて善い行いを心がけていれば、後生得楽の良いお導きとなることでしょう。
六道輪廻の思想に対して、現代の日本の仏教各宗派では、故人はお葬式の際に引導を授けられる(浄土真宗では阿弥陀仏に全てをおまかせする)ことによってご本尊に導いていただき、更には残された親族のご供養を受けて、四十九日までの間に浄土へ往生する(輪廻の世界から離れて成仏する)ということになるのだと思います。
何年も前の話ですが、近所のお寺のご住職を車でお迎えに行き走っていた時のこと、「あの人はきっと良いところへ行くなぁ。」と話しかけられたので、「あの人?…どこへ行くのだろうか?」と見てみると、道端で一人のご老人がせっせとゴミを掃除しています。「なるほど!」と思いました。「良いところへ行く」というのは、「亡くなられた後にきっとお浄土へ往かれるだろう。」という意味なのでした。
そのような感覚で物事を見る目を持つことと、正しく丁寧に生きることの大切さを学ばせていただきました。
執筆者 千葉県南房総市
真言宗智山派 勝蔵寺住職 田口秀明