「こころの健康」という法話の中で、般若心経の「ギャーテーギャーテー…」の呪文は「一切の苦を取り除く真言である」とご説明しました。しかし般若心経を唱えても、私たちの苦悩はすぐには取り除かれません。苦労もどこか遠くへ飛んで行ってはくれません。
そもそも、私たちが普段感じている「苦しみ」や「苦労」は、人生に不必要なものなのでしょうか?
苦しいことも沢山あるけれど、すべての苦しみが「取り除かれればそれで良い」というものではなくて、「自分を成長させてくれるものである」と考えることもできます。
苦しみを乗り越えるために努力することによって、人として大きく成長するのです。
般若の真言の力によって、「苦」の捉え方が変われば、「苦」がそのまま「人生を豊かにする宝」になるといえるかもしれません。
諸行は無常であり、「苦」だと感じていた出来事もまた、ずっと「苦」のままではないということでしょう。
例えば、自分の希望通りにならなかったことも、後になってみれば「あの時は苦しかったけれど、結果的にはこれで良かったんだ」と感じることや、「大変な経験だったけど、あの努力をしたからこそ今の自分があるんだな」と思うことが結構ありますよね。
苦しみから逃げてばかりでは決して味わうことのできない、大切なことだと思うのです。
「苦労を経験することによって人間性が磨かれるんだ」というふうに考えてみれば、苦しいこともあまり苦にならないのではないでしょうか?
私たちは多くのスポーツ選手が目標に向かって一心に努力し、活躍している姿に感動します。そして心からの声援と拍手を送ります。
同じように、人生の苦難に立ち向かって成長していく私たちの姿を見て、きっと仏さまやご先祖様が「ガンバレー!」と背中を押してくれていることでしょう。
凡夫である私たちの耳にはその声は聞こえてきませんが、手を合わせてお祈りをすることにより心の中にしっかりとその声援を受け止めて、苦難を乗り越えていきましょう。
執筆者
千葉県南房総市
真言宗智山派
勝蔵寺住職 田口秀明