徳川家康公の御遺訓に「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し いそぐべからず」とあります。ちょっとした判断ミスが命取りとなるような時代には、忍耐強く、次の一歩を着実に進めていくことが必要とされ、天下泰平の世の実現という意味においては、急がずに進むことが結果的には近道となったといえるかもしれません。
また、この遺訓は後世につくられたものともいわれますが、幾多の苦難を乗り越えて、泰平の時代の礎を築いた家康公の人生観をよく表したものであるという評価もされているようです。
御遺訓は「不自由を常とおもへば不足なし」と続きます。コロナ禍のように不自由の多い生活の中で、今まで通りに生活しようと思えば不満が生じ、自分が苦しい思いをするだけでなく他者にも迷惑をかけることになりかねません。自分勝手から引き起こされる災いは自分に返ってくることが多いです。変えられないものを変えようとするのではなく、自分の考え方のほうを上手に転換して生活すれば、不満やストレスも少なく過ごせるものでしょう。
お釈迦さまの御遺訓ともいえる『仏遺教経』(お釈さまが入滅される際に、沙羅双樹のもとで説かれた遺誡のお経)の中の一節に、「少欲知足」という大切な教えが説かれています。
「多欲の人は、多く利益を求めるので、またそれだけ苦悩も多い。少欲の人は、利益を求めることがない。利益を求めることがなければ、このような苦悩もまたない。《中略》満足を知らないものは、たとえ豊かであっても貧しき人なのだ。満足を知る人はたとえ貧しくても豊かなのだ。」(『常楽会』「智山伝法院選書3」より)
「少欲(欲望を制御すること)」と「知足(足るを知ること)」を実践すれば、人々の心はとても豊かになるのだ、と説いておられます。
疫病や災害などによって不自由な日々が続くと、普段通りに生活ができることのありがたみがとても大きなものに感じられます。からだの健康についても、普段は特に意識することもなく過ごしていますが、手や足を痛めたりして不自由を感じた時ほど、体に不調がないということのありがたみを痛感します。
不自由を常と思うことは少し難しいですが、何事にも「足るを知る」ことを心がけて、「ありがたい、ありがたい」と感謝しながら「心を豊かに」過ごしたいですね。
執筆者
千葉県南房総市
真言宗智山派
勝蔵寺住職 田口秀明