明治二十一年のことなりけり。広島県安芸国沼田郡朽木村(あきのくにぬまたごおりくちきむら)の神官に井村徳次郎(いむらとくじろう)と云う者あり。その妻の定(さだ)といえるが眼病に罹り久しく医薬を尽したれど、効験(きゝめ)なきものから同年二月より当山へ参籠し形の如く法則を授かり信心怠りなく、日夜祈念を凝らし居たりけるが、看護として其弟桜井某(さくらいそれ)とて其時三十五才になれるが六才の我子と共に付添いて登山しぬ。
井氏はその性温順謙譲(せいおんじゅんけんじょう)なれども聊(いさゝ)か本尊を信仰する志(こころざし)なく、姉の定女(さだじょ)こそ一心に眼病平癒を祈れ自分は何の祈る処もなし。障(さわ)らぬ神の祟りたまうこともあるまじとて、偶々不浄(たまたまきたなき)の心を起こし、日々参詣する近村の婦人某(ふじんそれ)を説き遂に不浄(ふじょう)の所業(わざ)を為したれば仏罰立(ぶつばちたち)どころに報(むく)いけん。昨日まで清眼なりし両眼も、女もろとも忽(たちま)ち盲目となりぬ。其子も亦(また)本堂の傍近(そばちか)き処にて不浄を便(べん)じたりしかば是も仏罰にや、幾千(いくばく)もなく盲目となりけり。
されば親子及び姉に至る驚歎一方(おどろきひとかた)ならず。茲(こゝ)に始めて信心懺悔の心を起こし、拙僧に授法を請(こ)い至心(まごころ)に礼拝してけり。されば一時の御懲罰(おんいましめ)にや、父子ともに一月ほどにして眼の光り元に復し、清やかになりしせば、これより心を改めて当山の大信者とぞなりて、日々本尊の御給仕に怠りなかりき。
是ぞ無信心且(ぶしんじんか)つ不浄業(ふじょうごう)を戒(いまし)め正道に導き給う大悲本願の威霊ならめ。かくて姉の定女の眼病も亦御利益を得て同年十月の末に帰国せり。
―「瀧谷不動尊霊験記」より転載―