私が瀧谷不動明王を知りましたのが、十三才(昭和十三年)の頃です。畦道を軍歌を歌いながら歩いていました時、おばさんが目の悪い私を見て不動様の所に行きなさいと教えて下さいました。とても私にしては遠い所だと思い、考えながら、とぼとぼと歩き廻って廻って行き、足がひとりでに走り出し、フワフワと夢中で走りまくり、畦道の中座り込み、その前が不動明様の入り口だったと自分で納得した思い出があります。
これは私は良くなるわと、自分で納得していました。すぐお寺に行き、お籠り堂に入ったら、おじいさん、おばあさんが八人位おられ「一人できはったの」「えらい」「えらい」と皆様がほめて下さった事、今でもうれしくて泣きました。とても皆様優しい言葉をかけて下さり、おばさんにお経を教わり、お瀧でのおつとめの仕方を教えてもらい、その夜は、ぐっすり寝ました。
朝五時半に起き、まだ薄暗い、気持ちの良い朝で、白衣に着替、お経をあげ、とても気持が軽くなり、頭もすーとして、長い階段を上り、寺で食前のお祈り、昼、夕方と一日が過ぎとても楽しく暮させてもらい、二十一日の願明の日となり、心を正して瀧つぼの下でお瀧に一礼してお経を一生懸命大声で唱えました。
昨晩の雨がとても大きな水となり、体に落下して、息苦しいくらいでした。その時お瀧が突然足元から噴水の様にすごいいきおいで、上にふき上がりました。私はびっくりして、腰をぬかして 、座り込み、水の吹き上がる様子を見て、再びびっくりしました。その時神様が、大声でお経をあげている姿を見に来たのだと思い、いちだんと声を大きく上げました。私の声が届いたのだと思いました。それから一週間お籠り堂にこもりました。
家に帰る頃日に日に左目が見え出して、右目はシルエットぐらいまでですが、私のおたのみ通り、完全に左目は良く見えました。
一番したかった洋裁店を八十才まで大阪でしており、又お花、お茶、洋裁、和裁と教えて九十才まで来たと思われなく、これもお不動様のおかげと一年に一度だけですが、お札をおさめ、お参りさせて居ります。本当にありがとうございます。
中室富子 現在九十才
旧姓 居村富子 十三才の時
文中に出てきました「お籠さん」についてですが、当山には古く、江戸の中期頃には参籠堂が建てられていたようであります。公共の交通機関も無い時代、お参りは皆様徒歩によりますから、必要な建物でありました。この参籠堂は昭和四十七年、境内整備に伴い取り壊されるまで二百五十年程働いてきたお堂でありました。毎月二十七日のお通夜は有名であったそうです。
平成28年度 1月8日号 瀧谷山報148号 霊験記より転載