日本三不動の一 ロゴ 瀧谷不動尊

クロスワードパズル カギ

タテのカギ🗝

1 祇園精舎の鐘の声 諸行○○の響きあり

4 ○○○○仏教の指導者 ダライ・ラマ14世

5 瀧谷不動尊のご本尊さまは?

6 ゴダイゴによるヒット曲 ドラマ「西遊記」のエンディングテーマ

9 極楽に咲いているという、仏教を象徴する花

11 臨終の時、仏さまや菩薩さまが()えに()ること

ヨコのカギ🗝

1 般若心経の一節 遠離一切顛倒○○

2 yogaと書いてなんと読む?ヒント 正しくは“ヨガ”ではありません

3 分別のないこと

7 九曜星のうち、凶兆の星とされるのは計都星と○○星

8 ()か遠く、隔たった所から()むこと

10 サイコロをふって、出た目の数だけマスを進んでいく遊び。○○ろく。

タテのカギ🗝

1 「無常」

有名な平家物語の一節に登場するこの語は、仏教の根本的な教えの一つです。諸行とは「ある原因や条件によって生じる物質的な諸現象」をいい、それらは無常である、つまり「生じては滅していくものであって、常住ではない」ということです。

4 「チベット」

チベット仏教には日本仏教と似て、複数の「宗派」のような概念があり、ダライ・ラマは特にゲルク派と呼ばれる宗派の高僧です。現ダライ・ラマは14世。代々存在そのものが民衆を導く「観音菩薩」の化身として敬われます。救われるべき人々がいるする限り、何度でも生まれ変わって世に出づると考えられています。

5 「不動明王」

お不動様は眉間にしわを寄せて牙を剥いたような怒ったお顔(忿怒相)をしておられますが、その本質は奴僕、つまり従者のはたらきであるとされています。私たちがしっかりと日々の目的にもっぱらに従事できるかどうか、じっと見守ってくださっていて、お不動さまを信じる我々のことを手助けしてくださっています。

6 「ガンダーラ」

現在のパキスタン北西部。紀元前後から数世紀にわたり、この地で仏教美術が栄えました。ギリシャ美術等を取り入れたガンダーラ仏の像様は、すっと通った高い鼻筋と、彫りの深い目元、美術の石膏像みたく瞳を書き入れない目の描写などもあいまって、今日の我々にとってはいかにも西洋的という印象を与えます。波状に少しうねった毛髪の束や筋の表現も「奈良の大仏さん」などに代表される螺髪とは全く異なります。

9 「蓮」

仏教を象徴する花・蓮。代表格としては観音菩薩さまの持物として、あるいは仏さまの台座のデザイン(蓮華座といいます)にもみられます。蓮華の花は泥中に咲きながら泥に染まず、清らかであることから、煩悩をよせつけない仏の智慧を象徴しています。

11 「来迎」

宗派等の違いにより、ライコウとも読みます。阿弥陀如来さまを特に信仰し「南無阿弥陀仏」と唱える人を念仏行者と呼びます。この念仏行者の亡くなる時、阿弥陀さまが、観音菩薩さまと勢至菩薩さまたちを伴い迎えに来て、極楽へと導いてくれるのだといわれています。

ヨコのカギ🗝

1 「夢想」

『般若心経』の一節、「遠離一切顛倒夢想」は、あらゆる誤った見解を離れている状態を述べています。「顛倒」とは「さかさま」という意味を持ち、これは事実を誤認して真逆にとらえてしまうような状態をさしています。「夢想」は夢に想い描くという日常語的な意味で考えて差し支えないと思います。『般若心経』は「智慧の完成」のお経ですが、完成された智慧とは、誤りや空想的非現実的な思いを遠く離れているということです。

2 「ヨーガ」

一般にヨガという言葉が定着して久しいですが、正しくはヨーガと読みます。サンスクリット語では「o」と「e」はいずれも長音(のばす音)になることが決まっています。

3 「無分別」

この言葉を聞くと「分別がなく、思慮に欠けた様」を思い浮かべる方が多いかもしれません。仏教における「分別」とは、いわばその人自身の凝り固まった主観によって対象物を「あれはこうだ」「これはああだ」と捉えている状態です。このような狭量な認識から離れることがより良いことであって、主体客体などの概念を超え、ありのまま物事を見る能力を「無分別智」といいます。

7 「羅睺」

羅睺とは、日蝕・月蝕のこと。○ページの記事もあわせてご覧ください。

8 「遥拝」

問題文の通り、遠く離れたところから神仏などを拝むことです。

10 「すご(ろく)」

マスの当て方が少々強引だったでしょうか。すごろくは古代インド発祥の遊びとされます。一説には『涅槃経』中に登場する「波羅塞戯(はらそくぎ)[i]」なる語をすごろくであるとします。「波羅塞」はサイコロを意味し、それを用いた遊戯ということです。あるいは同文中にみられる「(りく)(はく)」もまた、すごろくであるとの解釈も見られます。ともあれ、なぜお経の中にこのような遊びの名前が登場するのかと言えば、上記以外にも囲碁等の盤上の遊戯や毬つき、(いし)(なご)などは仏道に励む人にとっては「世間から謗られないためにも、つつしむべきこと[ii]」でありました。


[i] 『梵網菩薩戒本疏』(法蔵、7C後半-8C前半)によればこの波羅塞戯は「西国の兵戯法で、二人おのおの、二十余りの小玉を持ち、象あるいは馬に乗り、細かく区切られた道で、要路を争い得れば勝ち」というゲームである。

[ii] 息世譏嫌戒(世の“譏り嫌う”が息む)

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