概要
不動明王(お不動さま)について
明王とは仏法を守護し、人々を災いや迷いから救ってくださる仏さまです。中でも「お不動さま」と呼ばれ、広く信仰を集めるのが不動明王さまです。お不動さまのお姿は、煩悩にまみれた救い難い者をこそ救うため、また、仏道の妨げになるよこしまな心を断つため、勇ましい出で立ちをしておられます。表情はたいへん険しいですが、人々を憐れむ大きな慈悲を持った仏さまとして古くから信仰を集めてきました。
不動明王像の両脇には、脇侍として矜羯羅童子と制咜迦童子が配され、三尊としてお祀りされることが多くあります。
揺るぎない心を持ち、
人々を守る仏さま
お不動さまはその名の通り「動かざる」「揺るぎない」固いさとりの心を持ち、これを表す盤石座に住しておられます。
仏教発祥の地・古代インドでは「アチャラナータ」と呼ばれ、これもまた「動かざる守護者」という意味です。お不動さまは、よく信心し修行に励む人を守護し、寄り添ってくださる仏さまです。
お不動さまが背中に火炎を背負っておられるのは、全身火炎となって衆生のいっさいの煩悩障難を焼きつくす、火生三昧のご精神に住まわれていることを現しています。
お不動さまのご誓願は、人間の悩みの原因である無明を断ち切って、ほんとうの幸せをおさずけになることにあり、私たちの真心が通ずるならば、どのような願いでも必ず一願は成就するといわれています
瀧谷のお不動さま
弘法大師の御作と伝えられる
お不動さま
当山のご本尊お不動さまと脇侍の2童子は、平安時代821年に弘法大師が高野山へ行く途中、この地で雨乞いをご祈願され、ご自身で一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りを込めて彫られた霊像と伝えられています。
弘法大師は国内をめぐり歩く際、どこにいてもお祈りができるよう念持仏として自作のお不動さまを持ち歩いておられたという逸話が残っており、数ある仏さまの中でもお不動さまに一層の敬意を持っておられたようです。
当山のお不動さまは、脇侍の矜羯羅童子・制咜迦童子とともに国の重要文化財に指定されています。3体合わせて重要文化財に指定されているのは大変珍しいことです。
南北朝時代には、当地の南に位置する千早城城主であった楠木正成が当山のお不動さまにお詣りし、戦場でお不動さまが身代わりになってくださり命が助かったとのいい伝えが残っています。
当山のお不動さまは、古来「日本三不動の一」といわれ、俗に「目の神様」「芽の出るお不動さま」あるいは「どじょう不動さま」などと呼ばれてひろく信仰されています。また、厄除開運、商売繁昌、交通安全など、あらゆるご祈願に不思議なご利益をいただかれる方が多く、毎月第4日曜日の月例祭には多くの人々のお詣りで境内が賑わいます。
秘仏本尊のご開帳
平素、本堂の中央にご本尊を安置しているお厨子の扉は閉じておりますが、毎月第4日曜日の月例祭にはご開帳し、その日は終日本堂にて開扉大護摩供を厳修いたします。その他に、毎月8、18、28日も「八の日ご開帳」としております。
ご本尊は毎月第4日曜日、8日、18日、28日にご開帳されます。
境内にはあちこちに
お不動さまがいらっしゃいます
お不動さまは、人々を助けるために多様な姿をして現れになります。
当山は本堂以外に、瀧不動堂や一願不動堂、明王殿などのお堂にもお不動さまがいらっしゃいます。ゆっくりと境内をめぐり、よいご利益をおいただきください。