大阪にある厄除け・祈祷の瀧谷不動尊 -Takidani Fudouson-


瀧谷不動明王寺

■所在地
〒584-0058
大阪府富田林市彼方
(おちかた)1762
■電話
(0721)34-0028(代)
(受付時間8:30-16:30)



霊験記 -心にあかりを灯す、ためになるお話-

「罰利(ばつり)空(むな)しからず深信(じんしん)比(たぐ)い稀(まれ)なる人の事」

2018年 4月10日(火)

 大和の国北葛城郡王子村 石山音吉(いしやまおときち)と云える人、眼病平癒を祈らんと明治二十三年十二月当山へ参籠(さんろう)せり。
 礼拝法則(らいはいほっそく)形(かた)の如く授与を終えて、日夜 行願(ぎょうがん)を励(はげ)ます程にその功や顕(あら)われけん。三十日余りにして七八分通りも快癒(かいゆ)しつ。是偏(これひとえ)に本尊明王の御蔭(おかげ)と悦び勇みてありしが、或日国元より雪の道を遠しとせずその妻の見舞に来たりたれば、音吉大いに悦び「我は本尊の御利益の早くも眼病は七八分快方に為(な)りたり、御身も共々礼拝せよ。」とて更深(よのふ)くるまで宝前に誦呪(じゅしゅ)してありけるが、山風の身に染(し)みじみと堪えかね、他の参籠者も皆 籠堂(こもりどう)に下りて寝るものから、やがて音吉夫婦も本堂を退き各伏床に入りぬ。
 然るに其翌朝(そのよくあさ)周章狼狽(あわてうろたえ)の体(てい)にて、音吉は拙僧(せっそう)の本堂より行法を済まし下る間遅しと居間に来たり、「扨(さて)は大変な事を致しました。何卒々々貴僧の修法力を以て本尊明王へ御詫(おわび)を成し下され、どうぞどうぞ。」と事の訳をも言わず、只泣伏して頼みきけぬ。依(より)て拙僧は「いかゞせられしや」とその由(よし)を問うに音吉はおづおづと頭を上げ、「誠に申(もおす)も恥ずかしながら、昨日愚妻の見舞に来て呉れ我眼病も御蔭にて十が七八は治りたるを共に悦(よろこ)びたるに、今朝は少しも見えませぬ、何卒お助け下され。其訳(そのわけ)は、昨夜初夜の礼拝を終わりて籠堂(こもりどう)へ下りしが、目今参籠者(このせつさんろうしゃ)の少なく殊(こと)に寒さきびしくかたがた夫婦のことなればとて、男女の区別正しき寺法(おきて)をやぶり、遂に同じ伏床(ふしど)に入り誠に凡夫の浅間(あさま)しさ、勿体なくも霊場を穢(けが)しませり。其罰(そのばつ)や忽(たちま)ちにして、旧(もと)に増したる盲目に為りました。後悔すれど甲斐ぞなき事ながら自今盲目(いまよりもうもく)の身となり果てなば此身(このみ)の難義(なんぎ)は申(もうす)までもなく、親や妻子の歎(なげ)きいか斗(ばか)りぞ噫情(あゝなさけ)なや。昨日までの御利益は水の泡と至せしも心から、今は此心(このこころ)を改めて房事(いろごと)は三ケ事間(ねんのあいだ)禁慎致すほどに、哀(あわ)れ今一度 冥助(みょうじょ)あらんおとをどおぞどおぞ。」と其事実を包み隠さず発露懺悔(ほつろさんげ)に、男の声を揚(あげ)て泣くも実(げ)に道理(もっとも)と見えにけり。
 拙僧は之を聞き終わりて告げて曰く、「やむなむやむなむ、夫(それ)は心願ある身にも不抱(かかわらず)斯霊地(このれいち)を穢(けが)せし御忿怒(おんいかり)ならめ、当本尊は誠に罰利(ばつり)ともに赫灼(いやちこ)なり。乍去(さりながら)今は出来たる後何と悔めど致し方もなし。是より壇を聞き特別修法(とくべつしゅほう)を営み参らする程に、其身(そのみ)も法令(みおしえ)の如く懺悔清浄(さんげしょうじょう)に一層(ひときわ)信心堅固肝要(しんじんけんごかんよう)ぞ、其意行(そのこころおこない)によりて亦(また)大悲(だいひ)の利益(りやく)も顕(あらわ)るべし。」と時に本人は悄然(しおしお)として退(まか)りぬ。夫れより拙僧は七座の護摩供を終業し冥被祈願(みょうびきがん)を為(な)し遣(つか)わせり。
 其后(そののち)本人は日夜寒天に身を切る計(ばか)りなる加持井の水に水行するのみならず。尚剣(なおつるぎ)の如き瀧に身を清め、昼夜六度礼拝勤行の余暇にも宝前(みまえ)を退(しりぞ)かず幾回(いくたび)となく法則を誦呪(じゅしゅ)し、其始(そのはじめ)終わりには心猿意馬(しんえんいば)に意得(こゝろえ)違いせし旨(むね)ども明白(あからさま)に発露懺悔する其(よう)様(さま)、宛善(さながら)精神異状者の如く一心不乱に見えける。
 されば本堂の内外に拝する人々皆耳を澄して之を見聞し、不知不識(しらずしらず)共々に懺悔発心(さんげほっしん)せざるものなかりき。
 かくて日を経(へ)るに従い、少し眼光(めのひかり)を回復したれば悦(よろこ)びのほどは言わん方もなく、益々(ますます)信心(しんじん)堅固(けんご)なりしかど、或(あるい)は明となり又は暗となりつゝ、一ヶ年ばかりにして半ば快復せしも、兎角(とかく)全快に至らぬものから,一旦罰を蒙(こうむ)りし眼なれば此上(このうえ)の利益は得がたきかいかゞにや、と少し迷いの心を生じ拙僧の許(もと)に来たり間いぬ。依(よっ)て拙僧は決定諦信(けつじょうたいしん)の肝要なる旨を教誡(きょうかい)しぬ。
 されば復(ま)た疑念なく更に一心一向に信心を凝らせしこと一ヶ年、前后(ぜんご)二ヶ年の間 戸主(こしゅ)にして家事に要用(おうよう)なる身なるにも抱(かか)わらず、一回(ひとたび)も帰宅せず参籠してありしは、実に深信ならずや。しかれば太甚難治(はなはだなんじ)の眼疾(がんしつ)なりしも、越えて明治二十六年の春に至り八分通り平癒せしかば、誠に悦び参籠してより三ヶ年目にして始(はじめ)て一度宅へ帰り、其翌日直に登山(とうざん)し相換(あいかわ)らず礼拝法則を如法に勤めてあり。此年は又或は高野山へ参詣し或は四国巡拝 杯(など)して、遂に両眼とも晴眼となり得て、目出度(めでたく)帰宅せられたるは満三ヶ年 即(すなわ)ち二十六年の十二月なりき。
 其後一層家業をも励み最(い)と仕合(しあわ)せよく盛(さかん)なりと。凡(およ)そ何事によらず斯(か)く強根(ごうこん)にてこそ本望成就(ほんもうじょうじゅ)するめり。夫(そ)れ精進(しょうじん)波羅蜜(はらみつ)の教旨(みおしえ)服用(ふくよう)すべきなり。
 今猶(いまなお)月参怠(がっさんおこた)りなく、家内も陸(むつ)びやかに絶えず浄信を運ぶ其趣(そのおもむ)き、返すがえすも深信(じんしん)の人と云うべし。

 


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